2024.02.27 神奈川観光コラム 神奈川観光コラム “海の隼”をあるく 浦賀を世界貿易の拠点に、と考えていた家康と按針を出し抜いて、まんまとオランダ商館、後にイギリス商館の誘致に成功した平戸藩。領主の松浦(まつら)鎮信(しげのぶ)は”海賊の首領(ドン)”として、巨額の利益を上げることになった。 按針はオランダ商館の顧問として平戸に滞在するが、商館に同居するのではなく、一線を画すために崎方(さきがた)と呼ばれる丘にある平戸藩の役人・木下弥次右衛門(やじえもん)宅の離れを根城にする。ここは後に按針終焉(しゅうえん)の地となるが、現在は正確な位置が分かっていないという。丘の上からは対岸にある平戸城がほぼ同じ高さに見え、眼下にはオランダ商館がある。ほんの数百メートルの範囲の中で、幕府、松浦氏、オランダ、イギリスの思惑が混ざり合い、その渦中に按針がいたのだ。 かまくら花めぐり(青蓮寺) 819年空海(弘法大師)により創建された青蓮寺。本尊の木造弘法大師坐像(鎌倉期)は、両膝の関節などが鎖で結ばれ動くことから「鎖大師(くさりだいし)」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。 ここに咲く花といえば、早春には梅。鐘楼傍の紅梅をはじめ、本堂前の白梅や枝垂梅が春を告げる。季節が進むと、本堂前の八重桜や参道の枝垂桜が薄紅色の美しい花々を咲かせてくれる。ほどなく、濃桃色の花桃や、木瓜(ぼけ)や躑躅(つつじ)の真っ赤な花々が咲き揃い、境内は春爛漫を迎える。 柿生文化を読む 本稿は、柿生中学校創立70周年記念式典の協賛記事として、2018(平成30)年9月号より、21(令和3)年8月号まで全19回にわたって、断続的に柿生郷土史料館の機関誌『柿生文化』に連載した記事を、タウンニュース紙に再掲していただいたものです。最終回が柿生小学校の150周年の2年前でした。そこで、2年後に開かれるであろう150周年記念式典への激励と期待を込めて、150年の歴史を持つこと=柿生地域の近代教育の黎明を担ったことを自覚し、その意味を歴史や伝統に学び、地域や卒業生からも学び、柿生地域の将来を担う、そして日本と世界の将来に地域から光を当てる、そんな存在を育ててほしいと、少し厳しい言葉で結んだのです。