2024.09.08 島根のどこが好きなのか、あらためて考えてみた。後編 島根のどこが好きなのか、あらためて考えてみた。 1.歴史や神話がある 私自身の生まれ故郷は鳥取なのですが、逆立ちしても島根にはかなわないな、と思うのがこれです。毎年10月に日本中の神さまが出雲に集うとか、すごくないですか?また、お城があるのも(ちゃんと残っている)すごい!これも、いまを生きている人間たちにはどうしようもないことで、歴史の重みを感じる点です。 日々暮らしていると、夕焼けや雲、田んぼを渡る風など、ああこれは神様がいるに違いない、という風景に出合うことがあります。 島根の人は、とりわけ自然のものに対する畏敬の念が強いように思います。それを納得させるだけの豊かな自然がある、ということかもしれません。 2.島がある 島根には隠岐諸島という島々があります。 これも鳥取の人には逆立ちしてもかなわないこと。島根に住む人であっても、隠岐を訪れたことのある人は限られると思いますが、3年間暮らしたことのある身としては、ぜひ一度島に出かけてほしいと思います。 展望台でぼーっとしたり、林道で野イチゴを摘んだりフユビを採ったり、サンキライの実でリースを作ったり。マムシを踏んだこともありました。一生分の自然体験を3年でさせてもらった、とさえ感じます。厳しさもあるけれど、それを耐えても余りある懐の大きさが、隠岐にはあると思います。 6.いま、暮らしているから。 いいところをいろいろ挙げてきたけれど、結局「住んでいるところを好きになる」「暮らしている場所を誇りに思う」、それに尽きる!と思います。いま、縁があって島根に暮らしている、そのことが、自分が島根を好きな一番の理由です(当たり前と言えば当たり前)。 1~3のことは、正直日本全国どの地域にも当てはまるし、自然の豊かさや人のあたたかさなんて数値では測れない。ただ、そこに暮らして日々、ご飯を食べている。そのことが、一番大きいのではないでしょうか。 だから、もし何かあって別の地域に引っ越すことになったら、きっとその土地のことも好きになるように努めると思うし、好きになる自信があるのです。それは、「どこで暮らすかではなく、どう暮らすか」という人生の極意、みたいなものを、島根で培ってきたから。 住んでいなくても、その町に関わることはできます。でもやっぱり、住んでいるからこそ、感じることがある。今日、県外から来てくださった方も、娘さんが島根で暮らすことにならなければ、こんなに島根のことを好きになってくれなかったでしょう。暮らす、ということには、それだけの重みがあるのです。 暮らしている人たち自身が「島根が好きだ!」と胸を張って言えるようになること。それが自分たちの活動のゴールなのかもしれません。